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(ラスト)(状態良好)チャールズ・チャップリンの秘書 運転手 高野虎市 喜劇王 日本人 激レア 1941.6.19 写真 貴重 状態良好 スーパースター |
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高野虎市が第二次世界大戦における日米開戦前の1941年6月(19日)にアメリカで日本軍のスパイ容疑で高野はFBIに逮捕された際の生写真(約23x18cm)です。
【チャップリンの秘書に】
1916年にチャップリンが運転手を募集していたため赴いたところ、採用された。とくにチャップリンが日本人を求めていたわけでも、高野がチャップリンのファンであったわけでもない。
当初は運転手としての雇用だったが、後にチャップリン邸の秘書となる。チャップリンは高野の仕事に対する一途な姿勢に感銘をうけ、一時期家の使用人全てを日本人にしたほどである。また、チャップリンが日本贔屓であるのも彼に由るところが大きい。高野に最初の子息(長男)が誕生した際には、チャップリンは自らのミドルネーム(スペンサー)をその名前として与えている。
1932年にチャップリンが訪日した際にも同行。このとき、五・一五事件の前夜に皇居付近を自動車で走行中、チャップリンに「車を降りて皇居(当時は宮城)の方角に向かって会釈してほしい」と依頼した。これはチャップリンに対する不穏な動き[2]を察知し、印象をよくするためにおこなったものであったが、チャップリンは従ったもののその真意を測りかねていたという。
1934年までチャップリンの元で秘書を務めた。チャップリンの当時の(内縁の)妻ポーレット・ゴダードの浪費癖を指摘したところ、ポーレットがこれに激怒。高野は自分を取るか、ポーレットを取るかとチャップリンに迫った後、自ら辞任した。ポーレットが日本人に差別意識を持っていたとか、高野の解雇を声高にチャップリンに訴え、それに押し切られた彼によって解雇されたという事実は無い。その後チャップリンは高野に対して再度秘書として戻ってくるようアプローチを試みたが、高野が秘書からの引退を考えていたこともあり成功しなかった。
【辞任後】
なお、その後チャップリンは高野に莫大な退職金と、アメリカの映画配給会社ユナイテッド・アーティスツ社の日本支社長の地位を用意した。