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広瀬栄一コレクション拓本5-183●昭和期 埼玉県比企郡平村塔ノ峰(多武峯トウノミネ) 文安2年十三仏板碑拓本 現在のときがわ町 240517 |
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文安2年は、1445年です。
緑(りょく)泥(でい)石(せき)片岩(へんがん)(通称下里石)製の板碑群で断片も含め31基が所在します。多武峯周辺より集められたものと考えられますが、年代の判読できるものは、正和(しょうわ)6年(1317)~永(えい)禄(ろく)11年(1568)の約250年間にわたります。この時期は、多武峯で宗教活動が活発化する時期にも重なります。これらの中には、六(ろく)観音(かんのん)・六地蔵(ろくじぞう)図像(ずぞう)板碑など板碑研究に当たって何度も取り上げられている貴重な板碑が含まれています。
※ 修験道とは、修行により霊力を得ようとするもので、山岳信仰と仏教、神道等が混成した日本独自の宗教です。山伏姿や法螺貝などが一般的なイメージです。出典:ときがわ町ホームページ
(2024年 5月 17日 15時 19分 追加)
多武峯神社は慶雲三年(706年)に藤原鎌足の遺髪を大和国多武峯(やまとのくにとうのみね)から遷して祀ったのが始まりとされています。その後、同所に福聚寺(ふくじゅじ)観音堂が建立されました。観音堂は三間四面の朱塗りの堂宇であったと伝えられ、南北朝時代の頃に火災に遭い、再建されています。明治二年(1869年)に多武峯神社と改称されましたが、明治四十年(1907年)に再び山火事により延焼し、現在の社殿は大正十五年(1926年)に建立されたものです。
神社名になっている「多武峯」は「塔の峯」とも称されています。それは、社殿のある峯の形が塔のように見えること、あるいは往古瓦塔があったと伝えられることからです。その証拠に大正十三年、社殿の北西側にある塚から瓦塔、瓦堂、須恵器杯等の破片や十四世紀作と考えられる蔵骨器、片口鉢が出土しています。多武峯神社の瓦塔は、県内出土の瓦塔の中でも最古に分類されるもので、九世紀頃と推定される貴重なものです。塚の上には、文亀四年(1504年)銘の五輪塔も祀られています。
また、かつては社殿西側には、文安二年(1445年)銘の十三仏板碑や長禄五年(1461年)銘の六観音・六地蔵板碑など、都幾川村(現・ときがわ町)を代表する板碑も十数基立ち並んでいました(現在は武藤家東側に移動)これらのことから、多武峯神社は、古代・中世の文化財が多数発見された貴重な遺跡でもあります。出典:ゆる~い日記