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涼月 1/700 精密完成品 日本海軍駆逐艦 ピットロード |
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商品圖片 | |||
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商品説明 |
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誠にありがとうございます
制作
ピットロード社のキットを使用し
各社エッジングパーツ+自作パーツで
細部まで表現しています
~制作について~
・オーバースケール感を抑える為マストを全て作り直しています
・3連装機銃はレジンキット製よりさらに精密な4パーツ構成の
ファイブスター社製品を使用しています
・空中線は0.047mmと0.06mmメタルリギングを使用することで自然なたわみを
再現しております
・滑車付きハリヤード、各所ジャッキステー再現、木箱の設置、船体の継目等を再現することでよりディテールアップを図っております
涼月について
一等駆逐艦涼月(すずつき)は、1942年(昭和17年)12月下旬に三菱長崎造船所で竣工した秋月型駆逐艦の3番艦1943年(昭和18年)1月15日、第十戦隊麾下の第61駆逐隊に編入、姉妹艦初月や若月(8月15日附で第61駆逐隊編入等と共に、輸送作戦や護衛任務に従事した
1944年(昭和19年)1月16日ウェーク島へ向かう特設巡洋艦赤城丸を護衛中涼月は高知県沖合で米潜水艦の魚雷攻撃を受け大破艦前部と艦尾を喪失した。 第61駆逐隊司令や涼月艦長を含め多数の乗組員が戦死。初月や救援部隊に曳航され[辛うじて呉にもどった。
呉海軍工廠で半年以上修理を行ったあとの同年10月16日姉妹艦若月と共に輸送作戦従事中、九州沖合で米潜水艦に襲撃され艦首部に被雷、再び修理を行った。本艦修理中に生起したレイテ沖海戦と多号作戦で、61駆僚艦3隻(秋月、初月、若月)は沈没した。 11月15日附で第61駆逐隊は解隊され、涼月は第41駆逐隊に編入された。11月下旬から12月上旬まで第41駆逐隊(涼月、冬月)と駆逐艦槇は空母隼鷹護衛任務に従事(帰路は戦艦榛名も同行)。
1945年(昭和20年)4月上旬、戦艦大和(第二艦隊旗艦)および軽巡洋艦矢矧(第二水雷戦隊旗艦)以下駆逐艦8隻(第17駆逐隊〈磯風、雪風、浜風〉、第21駆逐隊〈朝霜、初霜、霞〉、第41駆逐隊〈冬月、涼月〉)の第一遊撃部隊は沖縄突入作戦に参加(天号作戦)4月7日涼月は坊ノ岬沖海戦で被弾して大破、戦死者57名・負傷者34名を出す。同戦闘で大和含め6隻が沈没する。翌日、涼月は後進状態で辛うじて佐世保に帰投した。
涼月は応急修理状態のまま防空砲台となり、7月5日附で第41駆逐隊から除かれ予備艦となる。その状態で終戦の日を迎えた。その後、本艦以下駆逐艦3隻(涼月、冬月、柳)は北九州港(福岡県北九州市)の防波堤として使用された(軍艦防波堤)。
◇ディスプレイケース付属の為そのまま展示できます
模型はケース底面に接着固定しています
◇ディスプレイケースのサイズ
縦×横×高さ 約7×21×8㎝
◇模型本体サイズ
縦×最大幅 約19cm×2cm
画像をよく確認頂き
以下の内容をご了承頂ける方は
ご検討下さいませ。
・ノークレーム、ノーリターンでご了承頂ける方
・私的解釈による表現が含まれる可能性があります
・梱包は万全を期しているつもりですが万が一、輸送中の破損があった場合、ご自身で修理頂ける方
・天地無用・精密機器指定で発送します
輸送中の物損事故に関しては当方は一切責任を負いません
万が一発生した場合は保証上限30万の
保険に加入しておりますのでヤフオク受付サイトからご申請下さい
・入札後3日以内にご入金頂ける方
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